幸せを作り出す童心
本日、松野莉奈を送る会に参列しました。
献花用の花にはピンクのガーベラを選びました。
エビ中に転入して間もない頃の話ですが、りななんがブログで好きだと語っていた花です。*1
また、ピンクのガーベラには「崇高美」と「童心にかえる」という花言葉があり、これ以上ないほどりななんにぴったりだなと思ったのでこれにしました。
今まで全く現実感がなく、現地についてもさほどその感覚は変わりませんでしたが、献花台を目にした瞬間に現実を叩きつけられました。
その衝撃があまりにも強すぎて、心の中で「なんだこれは…」と何度も繰り返し言い続けながら泣きました。
自分の番が来ると頭が真っ白になってしまい、ただ「ありがとう」という言葉しか出てきませんでした。
情けないですが、その気持ちだけでも伝わっていたら嬉しいです。
前回のブログで僕は、エビ中の作品には本物の悲しみが宿ってしまったからもう見れないと書きました。
しかし、実際に見てみるとやっぱり笑えるし、熱くなれるし、幸せな気分になれました。
確かに、悲しもうと思えばいくらでも悲しい気分になれます。
声を聞く度、姿を見る度、叶わぬ景色を夢想して、もう二度と彼女を見ることは出来ないんだと言い聞かせれば悲しみは無限に溢れ出てきます。
でも違うんです。
エビ中ってそうじゃないんです。
そういうものじゃないんです。
画面の中の彼女たちは、悲しんでもらうために歌ってるんじゃないんです。
苦しんでもらうために踊ってるんじゃないんです。
辛くなってもらうために笑ってるんじゃないんです。
あんなに一生懸命なのは、皆を楽しくするためなんです。
皆を笑顔にするためなんです。
皆を幸せにするためなんです。
それなのに、そんな一生懸命幸せを与えようとしてくれてる彼女たちを見て悲しみに浸るなんてあまりにも失礼なことだと思いました。
失礼極まりないです。
それはエビ中という存在そのものを否定し、泥を投げつけるのと同じことです。
エビ中への冒涜です。
エビ中は幸せを作り出す存在なんです。
それは、永遠に中学生というテーマにあの子達の純真さが掛け合わさることで起こる奇跡です。
僕は本気でそう思ってます。
だから僕はこれからもエビ中の作り出す幸せを感じていたいし、それを少しでも世に伝えていきたいと思いました。
前にも言った通り、りななんは永遠に中学生そのものです。
見た目は大人、中身は子供。
どれだけ歳を重ねても、永遠に中学生の心を持ち続けている限り、りななんはそこにいます。
エビ中が永遠に中学生を掲げ続けている限り、りななんはエビ中と共にあります。
僕はそう信じます。
だからもう悲しくないと言ったらうそになりますが、
エビ中のこれまでの作品を、そしてこれからの作品を見続けていく決心はつきました。
エビ中は前に進む決断をしました。
ならば僕もそれに付いて行きたいです。
やっぱりエビ中が大好きなので。
このブログはまたいつも通りに再開したいと思います。
僕はりななんに対して腫れ物に触るような扱いはしません。
悪い言い方をすれば、特別丁重に扱うようなことはしません。
他のメンバーと同じように、思ったことをそのまま書きたいと思います。
もしかしたらそのせいで不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。
でも、僕は彼女だけ別物として扱いたくはないのです。
申し訳ございません。
それでも良ければ、これからも見て頂けるとありがたいです。